12.2005年秋〜釧路・帯広〜


この記録を書いているのは2006年秋…。

そう言えば2004年秋の帯広編を書いたのも、翌年の秋…。

1年遅れで書くのがデフォルトとなりつつあるのか?


でも、1年経とうと、2年経とうと、あまり変わらぬ風景がそこにある。

帯広のことを書く、ということはとりもなおさず、そういうことであり

そう信じたい。来年も、同じように書けたらいい。

いつまでも…とは、かなわない願いであったとしても。



* 釧路 *


画像を振り返ってみて思い出した。

そうだった…この年の帯広行きは、釧路寄り道から始まったんだった。

帯広のさらに西の釧路は、大学時代に道東知床旅のときに訪れて以来だった。

あの時にみた、釧路湿原の「神が降り立つ場所」の光景が忘れられなかった。


…とはいっても、今は季節は秋。

夏や冬のような、「シーズン」ではないことは重々承知している。

それでも、釧路に私は立ち寄った。





うーん、どこで食べたんだっけ、この駅弁…(笑)。

…あぁ! そうだ。思い出した。

この時、釧路空港から市街地へバスで向かった時のこと。

顔面蒼白になったのだ。


「飛行機の中に、帰りのチケットを忘れて来た!!!!」


そうだったそうだった、あのとき、慌てて空港に戻ろうと思ったのだった。

しかし、まずは空港に電話してみて、探してもらうことにしたのだが…。


「見つかりませんでした」

とな! がーーんがーーんがーーん…。


一度では諦められず、また数時間後にかけ直してみた。

「やはり見つかりませんでした」

ご、ごむたいな…!

ありえない…確かに座席のポケットに…!!


「帰りの飛行機代、払いなおさなきゃならんのか…」

そうだった、それが頭の中でぐるんぐるんめぐりながら、

食べ損ねた昼飯を、駅弁で済ませていたんだ。

釧路湿原へ向かう、ノロッコ号を待つ間のホームで…。

(ちなみに、カニ飯と海老天おにぎり…なんでいちいち写真とっているのか、自分)






ノロッコ号から見る車窓は、夏の鮮やかな緑とは違う、まさにセピア色。

すべてが枯れている…色褪せている…ひゅるる…まさに喪失感たっぷりの今の私の心境(笑)。






釧路湿原駅。このかわいらしいログハウスの駅舎は無人駅。

ここから歩いて数分のところに、展望台がある。






さすがにこの時期である、観光客はまばらだった。

ますます寂しさが募る…。相変わらず私はヒール靴で、木組みの階段をよろよろしながら登る。






階段を登る(山を登る、坂を登る)ときいつも思うのは

「背中に目がついていたらどんなに楽だろう」

そう、振り返ればこの風景が見えるのに、登っている最中は見えないから辛い。

でも…一気に「上から」見おろせるそのスイッチもまたいいのかもしれない。

オレンジ色の木々、焦げ茶の駅舎、まだかろうじて蒼さを残す緑

秋の色は、すべてが調和している。






…。

拓けた…視界が。

展望台からの眺めが。


年前、同じ場所から眺めたのは夏だった。

緑はもっと蒼く深く、雲の合間からさす光は、天から降りたカーテンのようだった。

光が指し示すところに、きっと神がいるんだ。

そう感じた大学生のあの夏。


さすがにこの季節だとその神々しさこそは感じられなかったし

たとえ色が幾分褪せてしまっていたとしても

これから訪れる長く厳しい冬に備えた、「最後の色」のようだった。

もうじきここから色がすべて失われ、真っ白な世界に変わるはずだ。






ざくざくと枯れ葉のじゅうたんを踏みながら案内所の方へ向かってみる。

このとき、私がどんなことを考えていたのかは

あのときより1歳お姉さんである「私」には思い出せないけれど

きっと冴えないことを考えていたに違いない。

「飛行機チケット…」

…きっとそうだろな…






やや! こんなものを食べていたのか、1年前の私(笑)。

やまぶどうソフトだった…と思う。

たしか…たぶん…きっと……(笑)






再びノロッコ号に乗り、釧路の町に戻って来た。

特に釧路でやりたいこと、食べたいことがなかったので(ほんとに釧路湿原のためだけに来た)

とりあえずフィッシャーマンズワーフまでとぼとぼ歩く。

ここで、諦めきれずに航空会社に3度目の電話をしてみた。

やっぱりまだ見つからないらしい…。

今は、二度目の機内点検に入っているらしく、まだなんとも言えないらしい。

あきらめないぞー、なんとしても見つけてくださいよ!





甘いものが好きなじいちゃんにお土産をなにか買って行こうと

たまたま橋の近くで見つけた老舗っぽい和菓子やさんで豆大福を購入。

これがとってもとってもやわらかくて美味しい!

「老舗にハズレなし」

…和菓子屋に関しては私はそう思っている(笑)。






はう…。

切ない…。

切ない…。


はっきりこの時の心情は覚えているわけではないが、

こういう風景をみて、ひとりでいて、しかもたぶん寒くて?

こういうときの私は、得意の「ひとりセピア」している真っ最中に違いない。

本人が言うんだから間違いない(笑)。




夕方、釧路駅から発車する帯広行きのバス(JRの特急を使うより安い)まで

相当時間がある。こうなったら「食べて」時間を潰すしかなかろう。

しかし特に釧路でパン屋さんに寄ろうとは思わなかった。

足はないし、メロンパンにはあまり興味がなかったし(爆)


それで、なぜか釧路ラーメンである(笑)。

「パンがなかったらラーメンをお食べ」

…私って、なんかこのパターン多くないだろうか(笑)。






どこに入ればいいのかわからなかったので、ふらふら歩きながら探してみることに。

やたら派手なのぼりの立った一軒のラーメン屋に入ってみた。






懐かしい、正当派の醤油ラーメン。

味はというと…まったく記憶にない。

「フツーの醤油ラーメン食べるの久々だー」

くらいしか覚えていない(笑)。申し訳ない…。




さらにあと1時間くらい時間を潰さなきゃならなかったのだが

私はこの当時、ひどい腰痛に悩まされていた(記憶がある)。

腰痛がピークに達し、もう歩けない…。


そこで…。

突発的に、駅の近くの「怪しい」整体屋さんに入ることにしてしまった。

まぜ普通にクイックマッサージとかに入らなかったのだろうか(笑)。

…その理由はどうしても思い出せない(→たぶん、お金をケチったんだろうが(笑))






入り口が目隠しになっていなかったら、きっと入ることはなかったに違いない。

がらっと安っぽいサッシをあけると

簡易ベッドが2つ、並んでいた。

誰もいない。しかしテレビがつけっぱなし、

…な、なんか、ちょっと、、、これは、、、






ベッドの向こうのつい立ての奥から、

めちゃくちゃ痩せ細った、顔がコケまくった老人(初老)が出て来た。

「たった今、起きました」みたいな寝起きのむくんだオーラが出ている(笑)。

あ、あやしい、、、逃げたい、、、(笑)


とりあえず、横になって、マッサージを受けたが、

おっちゃんはマッサージの時だけは人が変わったかのように激しい動きを見せた。

ほぎゃーーー!!! 痛いんですけどっ!!!!

私は文字どおり、苦悶の30分を過ごす羽目になってしまった(笑)。

こりゃ間違いなく、明日はもみ返しに襲われそう…。

ああ、、、



満身創痍でバスに乗り、帯広まで数時間。

帯広の少し手前で下車し、祖父母の家へ向かった。

…って。バス停、間違えた???

ここはどこ、私はだれ???


「おかーちゃーん」

祖父母宅で待つ母にヘルプの電話をしてみたが

車が今ないから歩いてこいとのこと。ぎゃおう!

結局、30分ほど歩いてようやく到着…。


満身創痍、レベル4…。




* 帯広 *





翌朝。

畑仕事が趣味の祖父の新しい作品(?)は、

見事な巨峰だった。おぉ…すごい。美味しそう!

じいちゃんを手伝って、ぶどうをひと房ひと房、もぎ取った。






大収穫…!

これをまた、東京の孫たちに送る訳ですね。

私も少し分けてもらおう(と思ったら、どっさりと持たせてくれた記憶が(笑))



ちょうどその頃だっただろうか、

私宛に電話がなった。航空会社からだった!

なんと、東京での機内整備の際に発見されたらしい。

でしょーー?! だから言ったのに!(笑)

結局、帯広空港に送り届けてくれるらしい。はー、これで一安心

心は晴れ晴れ、しかしカラダは夕べのもみ返しでズキズキ(笑)。






家から車で少し、帯広の中心地から少し離れたあたりにあるフレンチレストラン。

母が以前訪れて美味しかったということで連れて来てもらった。

ごくごく普通の住宅街にある、モダンな設計のレストランだった。

帯広は、何度も書いているとおり、グルメの町である。

たまに「なぜこんなところにこんなお店が」と驚かされることもしばしばなのだ。


「ベル・エレーヌ」というフランス料理店だった。





実は…ほとんど記憶がない。

検索しても全然ヒットしないし、ショップカードをかろうじて見つけて

ようやく店の名前を思い出した。知る人ぞ知る店、なのかもしれない。

…画像を見てもらえば一目瞭然だろうが、オーソドックスだが美味しそう!

(なんかパンが一番美味しそうに写ってる!)






きっと帯広だからランチの値段も他では想像しえない安さ、…だったと思う。

たぶん、味とかよりも、そのコスパに感心した覚えもうっすらと…。

うわー、もったいない! 私の記憶を返してっ!(笑)

(検索すれば住所と電話番号くらいは出てくるでしょう。それ以上の情報はあまりないみたい…)

やっぱり食べ物関係は記憶がホットなうちに書き残さなきゃだめだな…反省。


それでも母と二人、いいランチタイムを過ごせたという記憶はちゃんと残っている。

それで十分かもしれない。




翌朝。

最近、じいちゃんが朝ごはんをつくるらしい。

昔から凝り性のじいちゃん、自家製の野菜でつけるニシン漬けは「日本一の美味しさ」だし

(私は他で滅多にニシン漬け食べないから?(笑)いやいや、お世辞抜きで)






倉庫の中は、昔から異様な漬け物臭が漂っている。

子供の頃はこの臭いがたまらなくイヤだったのに、

今ではなんだか「じいちゃんのエナジー」なんだな、と、ありがたい気持ちで嗅いでいる。






…って、これが朝食?!

天ぷら?! 朝っぱらから……(笑)

どっさり揚げられた野菜の天ぷらは、実に旨かった。

美味しい野菜を表現する常套句ではあるが「昔の味のする」野菜たち。

ほんとうに甘く、天つゆなんていらないくらい。甘くて美味しいよぉぉ…。

じいちゃん、来年もまた作ってね。(あ、今年か)




私はまた一人、家のことを手伝わずにふらふら勝手に帯広の町へくり出す。

いつも必ず寄る六花亭の喫茶室(本店の喫茶室については03年にも記述が。こちら)には寄らず、

一階の売店でのみ済ませてしまった。






帯広本店の一階売店で立ち食いするならば…やっぱりこれだろう。

さくさくパイ。製造してからたしか賞味期限は3時間。あくまで「さくさく」であるための賞味期限だが…






ふふ。懐かしい味〜。

大好物の秋限定「ポテトパイ」も買わなくちゃ。




本日のランチは

帯広と言えば豚丼!

これまでも何軒か豚丼のお店には来訪したが、

どこの豚丼も、だいぶタイプが違う。甘辛タレであったり、

テーブルコショーのシンプルな味付けのものだったり。

そして…今日これから目指す豚丼の店は、これまたかなり個性的なんだそう。





その店は、帯広からJRで一駅の柏林台から歩けなくはないが、

行きはバスで行ってみた。おりる場所を間違えたせいで(またか)

なんだかよくわからないが、林の中の遊歩道を歩いていた。






じゃん! ここが有名な「黒い豚丼」が食べられる食堂、「鶴橋」!

はぅ〜ん、元・豚肉嫌いの私が豚丼を求めてはるばる来たぜ帯広?!






事前予習でみたブログの公式ブックもちゃーんとあり。

ふふふ…。私も後で書かせてもらうぜ…(といいつつ1年越しになってもうたが)






まさに家内制手工業といった感じで、「この道十年!」みたいなお父ちゃんと

おばあちゃん、おばちゃん、おねえさん(だったかな? 記憶あいまーい)

なかなか活気のあるいい雰囲気の食堂だった。






どーーーん!!!

わぎゃー!

ほ、ほんとにまっくろ…!!

イカスミ…というか、墨汁…いや…重油だろ、これは…(笑)。

食べたらお歯黒になること必至みたいな真っ黒さである。

豚丼にお約束のグリーンピースが彩りを添えるが、

ハヤシライスよりもさらに黒々としていやしないか…?!


1年も前に食べたものなのに、この鶴橋の豚丼のことは強烈に印象に残ってる。

ひとくち食べると、その甘くてまろやかなタレの味わいにつかまれる。

んまー美味しい! 美味しい!!

薄切りの豚肉はしっかり炒められており、タレがなければきっとカリカリなのではないだろうか。

だからこそ豚嫌いの過去を背負う私でも全然平気なのだ。

甘い香ばしいタレでご飯を染めながら食べる…うはー。たまらん…。


このタレの甘さは…焦がした砂糖の甘さ…。

なんていうか…カラメルではないな、そんなハイカラじゃない。

…そうだ、べっ甲飴?!(笑)

黒蜜にも似たような…。色もまさにあんみつ色だし(笑)

(全然美味しそうに例えられない、私の力量不足を許して欲しい(笑))



目の前の厨房では、大将がでっかい中華鍋に新たにタレを継ぎ足し作っていた。

黒い液体の中に…どぼどぼどぼーーーっと砂糖を投入!

まるでジャムかと見間違えそうなほどに。そんなに入っているのかー?!

…見なきゃよかった(笑)。




今夜、私は帯広を発つ。

その前に、必ず食べておかなきゃならないものが2つ。

ひとつは、赤ちゃんの頃から「二番目に好きなカレー」、インデアンカレーである。

(帯広のインデアンカレーについては、03年のレポにて。 ちなみに大阪のインデアンについては06年夏、こちら






いつも、大きめの鍋を持参し、ルゥだけをテイクアウトする。

そして、袋を張った適当なタッパーにルゥを入れて、東京まで持ち帰るのがお決まりなのだ。

あ、この時はたまたま塩辛の器だったみたいだが(笑)。


ちなみに…。

「一番好きなカレー」?

…そりゃー、、、おふくろカレーじゃないですか?

ねぇ。言わせないでくださいよ(照)。




最後の最後に食べるのは、やっぱりここのラーメン…。

ここのラーメンを食べに帯広に帰ってくるといっても過言ではない、近年の私。

家のすぐ側のラーメン屋である。

(店の名前と画像は、04年のこちら…)






じいちゃんと母と3人並んで味噌ラーメンを頼んだ。

そう、去年の今頃と同じように。

私もパンほどじゃないけれど、ラーメンが好き。

いろいろ食べてはみても、やっぱりここの味噌ラーメンが日本一好きだ。

濃い口の味噌が、しっかりとしたとんこつベースにブレンドされている。

油でしっかり炒めたもやしに、塩っぱ過ぎないコクマロマロマロ…な焼豚。

スープが仕込んだんじゃないかというくらいに味が馴染んだ麺。


あぁ…。

来年もこうして、ラーメンが食べられるといいね。

再来年も。その次も…。


最後に私たちは病院に立ち寄ってから、空港へ向かった。

去年と変わらない。変えられない、現実。




…画像で振り返る、05年秋の釧路・帯広。

来年(って、今年でしょう)は、

記憶が色褪せないうちに書きとどめよう。


こうしているうちにも、時は無情にも刻み続ける。

書ける内に書こう。会えるうちに会おう。

書くことが残されている限り、

今、私にできること…。