8.変わること、に、思うこと。〜2004年に出会うパンへ〜




2003年を振り返り、この1年ほど

多くのパンやパン屋や人に触れた年はなかった。

ここ2年、パン好きがなおエスカレートして、ありとあらゆる店で食べてきた。

新しくオープンした店、話題の店、遠くの店。

「こんなの初めて!」と

心震わせるようなパンとの出会いがいくつもいくつもあった。

数え切れないほどの幸せを何度も何度も味わった。

365日充実していたといっても過言ではない。

振り返るとそんな一年だった。



***



2003年、秋。

2年ぶりに、当時一番好きだったお店に久しぶりに来店した。


当時、この店には遠方ながら何度も足を運び、

いろんな友を連れてはおいしさを共有していた。


最後に来店したのは、2年前。

当時、アナログ時代(ネットでパン交友が広がる前)に

パンめぐりをよくともにしていた連れと来た以来だった。

連れが当時、一番好きだったパンがある。

私たちが行くと、常に焼きたてに出会えた。

店を出るなりかじりつき、人目を気にせずに叫んでいたものだった。

「やっぱりこれだよね!!」



連れとはこの2年でお互いのペースが微妙にずれて

お互いにそれぞれ支柱とするものが変わった。

かつてのように一緒につるむこともなくなった。

「別れ」というほど大げさなものではないけれど

私には私のペースの生活が普通に流れていた。


2年ぶりに、その店に久しぶりに来店した。

そして、当時一番好きだったそのパンを2年ぶりに食べた。



…あれ? こんなもんだっけ?」

ただ、それしか浮かばなかった。

味がおちたというわけではないだろう。

おそらく、自分にとっての「おいしい」が変わってしまったという、

こちら側の変化にすぎない。

この2〜3年で東京にもハイレベルな店が続々現れ、

それらの店で舌をならしてしまったせいだろうか。

2年前に大好きだったパンが、そうでもない、と感じるようになっていた。



それは、残念なことだった。

好きだったものが変わったわけではないのに。

変わっていないのに「変わった」事実。

それは、悲しいことだった。


好きなものがひとつなくなったようで、悲しいことだった。


それを埋め合わせる以上のものに普段触れているというのに

ぽっかりと心に穴が空いたような気持ちになった。

味覚が変わったとか、嗜好が変わったとか、

そんな簡単な言葉では片づけられないような寂しさを味わった。

「やっぱりこれだよね!!」と

私はあのころと同じようにそう言える、と思っていた。



…このエピソードからしばらく、変わること、変わらないことについて

頭をめぐらせるようになった。

もちろんパンだけでなく、ものごと一般ひっくるめて。

知らないままでよかったのではないか、

時に鈍い方がよかったのではないか…と。

もちろん、今でも考える。

出さなくてもいい結論だから、これから先もきっと考える。



***



2004年もきっと、

新しいパンが生まれ、新しい店が生まれ、新しい友が生まれる。

そのたびに、変わり、失い、忘れるものが生まれるかもしれない。

それでも私は求めることを止まないだろう。

心が離れてしまう、忘れてしまうことの切なさと同時に、

これまで受け入れられなかったものを受け入れる喜びも知るかもしれないから。


私は変わり続けたい。

「小さな痛み」を感じる心は変わらないまま

変わらないものを愛し続けられる「鈍さ」も持ち合わせながら…。

矛盾かもしれないけれどきっと矛盾じゃない。

2004年に出会うパンたちに今、そう思っている。